「頑張り過ぎ」と言われたらちょうどいいのかもしれない

photo credit: washing the dishes for his sick dad – MG2577.embed via photopin (license)

先週日曜日の少年サッカーのトレーニングでの一コマ。

とある子ども(小3)が一言、

「コーチ、頑張り過ぎじゃない?」

・・・・・

まさか約20コも年下の子に心配されるとは。

時代を語る際に【ゆとり】というワードが欠かせなくなって久しいですが、まさか9歳の小学生がすでにそのような人生観を持ち合わせているとは驚きである。。。

冗談はさておき。

周りからそういわれたところで、私自身は特に頑張り過ぎている感はあるはずもなく、ただただ楽しくやってるのが実際だったりします。

 

<<自分でこんなもんかなと決めるのは苦手>>

まだまだ私が自分のことが見えていない証拠なのですが、私と言えば自己評価が下手くそなのであります。

つい最近までの理学療法士クリニックでの研修中も、

師匠「Yasu、よくやった素晴らしい」

と褒められても

「いやいや、あれも出来てないしこれも出来てないし、準備不足だった。不満」

と頑なに結果を受け入れることができず

師匠「いや十分だって。指導官の評価を信用しないとはいい度胸だな」

と若干呆れられたり。

とにかく下手くそなのであります。

 

<<足ることを知ることと欠乏感>>

自分の環境を見渡して、自分は恵まれてるな~と「足ることを知る」というのは、日々心がけていることなのですが、いざ自分自身の能力や自分の行動の結果に対して考えると、ついついまだまだ、と思ってしまいます。

よく「評価は他人がするものだ」と言いますが、まだまだ足りない、もっとやんなきゃという欠乏感から、先述の頑張り過ぎな様子に見えてしまったのかもしれません。

 

<<全力を尽くすのが筋>>

何が言いたいかというと、【頑張り過ぎ】と言われるくらいが私にとっては丁度いいんじゃないかということです。

自分で評価すると、ちょっとズレた感覚で「こんなもんでいいか」と甘々な自己評価をしてしまいそうなので。

別にだからと言ってワーカホリックでも、睡眠時間を削りまくってるわけでもありませんのでご安心を。

そういう類の「頑張る」という話ではなくて。

有り難いことに自分のやりたいことを出来る環境を与えてもらえているので、環境に感謝するならばそこには頑張り過ぎに見えるくらい全力を尽くすのが筋じゃないかなという事です。

頑張り過ぎということは、ある意味相手の想像を超えている、という事ですので、そう思われたら本望ですね。

・・・・・

でも少年よ、そう思うならパストラップは頑張って上手くなってくれ。

君が声をかけてくれた時はまさに、君たちがトラップミス・パスミスして遠くに転がったボールを拾いまくっていた時だからね。

オランダは今日も平和です。

 

Yasu


PAGE TOP